第1章「権威と不服従」ではデシの内発的動機づけの中心テーマである「自律性」について広い視野から議論されている。現代社会でみられるストレスやプレッシャー、不満による暴力や不正などの無責任な行動という問題を解決するためには、そのような行動の背景にある動機づけに影響を与える社会的な要因を解き明かし、人がもっと責任を持って行動するようになるための要因を見出していくことが重要だという。それは様々な相互関係の中で成り立つこの社会で各個人や各団体・組織がバランスよく機能するための考え方の一助になるのではないかと思う。また、社会化の担い手(親、管理職、先生、医者など)は、もう一方の人たち(子ども、部下、生徒、患者など)の動機づけと責任感の促進という仕事を受け持っているという。こういった役割が人々を社会の中に組み込み、社会の価値や慣習を人に伝えるのであれば、社会化の担い手は、どのようにすれば他者が自らを動機づける条件を生み出せるか、どのようにすれば「自ら学ぶ・やる意欲」を育てることができるか、積極的に考える必要があるだろう。
現代の社会では、多くの人々が日々のストレスやプレッシャーから疎外感を感じ、不満を抱いている。そのため、暴力や不正、自己管理能力の低下など無責任な行動に走るのだが、その無責任な行動がまた他の人たちのストレスやプレッシャーになるという悪循環に陥っている。この状況に対して、問題は道徳にある、統制の強化が重要だという声も上がっているが、デシは統制では問題は解決しないと言う。寧ろ、無責任な行動の背景にある動機に焦点を合わせ、動機づけに影響を与える社会的な要因を解き明かすことで、人がもっと責任を持って行動するようになるための要因を見出していくことが重要だと言っている。
人が何かに動機づけられる時には、行動が自律的か、他者によって統制されているかという区別が重要である。自律的であるとは、「自由に自発的に行動すること」、「本当にしたいことをしていること」、「興味をもって没頭していると感じていること」、つまり「偽りのない自分」とも言える。そしてそれらを理解する鍵は「統合」と呼ばれる心理的プロセスにある。「統合」というのは、自己がその範囲を定める側面のことを言う。心のさまざまな側面がどの程度統合されているか、すなわち本来的な中心的自己とどの程度調和しているかは、さまざまである。尚、逆に統制されている状態は反抗や同調やわがままとなる。
「偽りのない自分を生きると無責任に至る」という批判的な主張もあるが、それは、人が自分自身のことに深く関わるとき他者とつながるのではなく孤独を選択する、という誤った考えからきている。本来偽りのない自分であればあるほど、一層深い他者との関係を持つことができるものである。しかしながら、偽りのない自分に基づいているかどうかは、外面的な行動からだけでは判断できるものではない。行動の根にある動機づけを考えて、調べてみなければ分からない。
人はだれもが、地位や権力、統制などの点で異なるさまざまな関係の中におかれている。社会化の担い手(親、管理職、先生、医者など)は、もう一方の人たち(子ども、部下、生徒、患者など)の動機づけと責任感の促進という仕事を受け持っている。こういった役割が人々を社会の中に組み込み、社会の価値や慣習を人に伝えるのだが、デシとライアンの研究では、外から動機づけられるよりも自分で自分を動機づけるほうが創造性、責任感、健康な行動、変化の持続性といった点で優れているという結果が出ており、「他者をどのように動機づけるか」ではなく「どのようにすれば他者が自らを動機づける条件を生み出せるか」を考えるのが重要であるという。
エドワード・L. デシ (著), リチャード フラスト (著), 桜井 茂男 (翻訳) 人を伸ばす力 内発と自律のすすめ 1996 第1章 権威と不服従